私の中の私が死んだ
前回の『根源からイメージを探る作業』の後半で、この作業の反動に対する不安を記していましたが、反動と言うよりも変化に伴う死を経験しました。
あの文書を記した翌日・翌々日(10・11日)辺りから『私は死ぬらしい』という漠然とした予感がありました。
ただ、そこには恐怖が在るわけでもなく、自殺願望のようなものでもなく、ただ予感のみが執拗に付きまとう状態でありました。
そして、死が迫っているのは自我であり、私は残るのだろうと言う確信もありました。
さらに12日の土曜日には、自我による死への抵抗からか朝から頭が重く、起きている事もできない状態に陥り寝て過ごす羽目に。。。
これまでのスタイルを捨て、純粋なイメージを汲み上げて描く行為が、自我の存在自体を無に帰するものだったのでした。
この日、今までの『私』を形作っていた自我の一つが死にました。
(私は、自我は様々な条件を備えた形で複数存在し、常に誕生と死を繰り返していると推測します)
翌朝、目覚めたときの清々しさは格別なものでした。


その後、描き方にも変化があり、鉛筆で細かく描くようになりました。
自分がこんなふうに描くようになるとは予想もしていなかった意外なことです。
ただ、意識して描いているのではないのだけれど、かなり肉感的な部分もあり、人に見せてよいものなのか判断がつかないので、今はまだ掲載せずにおきます。





2009-09-23 Wed 11:39


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