一言雑感 先日、国立博物館で催されていた、「一木に込められた祈り」を観てまいりました。 前半は、一本の木から細密に掘り出された仏像が、時代を追って展示されており、一つ一つが彫り出されたとは思えないほど、細かい技巧を施してあり感心させられるばかりでした。 祈りの心と、磨きぬかれた技術によって生じた奇跡とも思えます。 後半は、江戸時代の仏像になり、当時の遊び心からなのか多少荒削りなものが目立つようになります。 荒いとはいえ、そこには人の心を捉える魅力のあるものです。 そのなかでも、円空の作は素晴らしいと思いました。 円空は、一本の木を立てに割り、その割れた面に、荒々しい彫刻を施しているのが特徴です。 そんな荒々しいものの、どこが素晴らしいかというと、仏の表情です。 あの、なんとも言えぬ、すべてを見通し、すべてを包み込んでしまう、この上なく、優しく愛らしい表情。 あれほど良い顔をした仏は観た事がありません。 中でも、私が一番に気に入った像が、通常は埼玉のお寺にあるようなので いずれ、足を運ぼうかと思います。 22/Nov/2006 現在、フローイング・スペースというクロッキー会に参加しています。 静止ポーズやムービングのクロッキー(5分〜10分程度の短時間での描写)の集まりです。 先日、ここの主催者の方が銀座の十一月画廊というところで個展を開かれまして拝見してまいりました。 抽象絵画に属すると思うのですが、なんとも素直に描かれている印象を受けました。 絵の下地などにも凹凸があり、こだわっておられるようで、でも、ゴツゴツした印象は受けませんでした。 一つの題材を複数の平面作品で構成しており、それらを観ていると、絵を観ているというよりも 動きがあるようで、映像作品を観ている気分になりました。 教会の壁画で、キリストの物語を順を追って描いてあったりしますが、現代の絵画でも、あのようなことが出来るのだなと、思いました。 関連URL 今野さと子ギャラリー 〜flowing in space〜 フローイング・スペース クロッキー会 更新をご無沙汰いたしておりました。 前回の最後に予告として、最近見に行った演劇の感想と記しましたので、近という表現が不適切になりつつある観劇感想を記したいと思います。 まず、Ort-d.dの公演『乱と夢』から 場所は北池袋のアトリエセンティオ。 東武東上線の線路沿いの住宅地に位置するところでした。 外観も一般の住宅なので、誰もいなければわからなかったかもしれません。 この公演は2幕に分かれており、第1幕が江戸川乱歩の『芋虫』『人でなしの恋』『防空壕』 第2幕が夢野久作の『少女地獄〜火星の女』 劇場内は白い漆喰で塗りこまれ、とくにこれと言って舞台セットのようなものは無くとてもシンプルでした。 ただ、舞台左奥に仮面をつけた男女の人形が椅子に座らされておりました。 ところが一度明かりが落ちた後、演目が始まると、その人形たちが動きしゃべりだしたのです。 驚きました・・・。 話の内容は、その最初に人形と思われた男女が王様と王女様で、そこに白い仮面に純白の装束の一団が現れ、彼らが代わる代わる乱歩の物語を演じてゆくというものでした。 一見純粋潔白なイメージを与える白い仮面も、役者さんの演技によって、時には恍惚に、時には狡猾に、そして狂気の表情へと様々に姿を変えてゆく。 そして、白く塗りこめられた壁も様々にイメージを沸き立たせ、暗い狂乱の世界を創り上げている。 素敵な試みだなぁと思いました。 第2幕では1幕とは打って変わって、元気の良い勢いのある流れで始まりまして、怪しい中華料理店(?)に連れ込まれて、楽しみつつ監禁されているような気分でしたが、徐々に、やはりまた、あの世界へ誘われてゆきました。 火星人の黒焼きの話なのですが、なんとも可哀想で、この世の地獄というか・・・。 詳しく知りたい方は原作を読むなり、同作の公演をご覧いただければと思います。 次は、大塚の萬スタジオで上演された『おとこたちのそこそこのこととここのこと』です。 ある廃部に追い込まれた社会人野球部の部員たちの悲喜劇です。 舞台の上には古びたロッカーと諸々の品で散らかった部室が表現されていました。 もう、凄かった。オーバーアクションという言葉では表現しきれない。 部員たちが、身の振り方や家庭の事情、性癖などについて語り合い、罵倒し合い、行き場の無いもどかしさを暴れ周り、そして最後に部員たちが一丸となって・・・という話でした。 劇中、暴れまわりながら、とにかくロッカーによじ登るという演技が多く、仕舞いには照明に上ろうとする部員まで出てきます。中には上りそこなって転び、アドリブで「上にいきたいよ〜」というシーンもあり、笑わせていただきました。 作は鈴江俊郎氏といって、以前NHK-FMのFMシアターで「弓張り」というオーディオドラマの脚本を書いていた方であります。 私は、この「弓張り」に魅了されて以来、毎週のようにFMシアターを拝聴するようになりました。 それ故に、鈴江俊郎という名を目にしたときに、これは行かねばと思ったしだいであります。 関連URL Ort-d.d『乱と夢』 アトリエ センティオ 寿団『おとこたちのそこそこのこととここのこと』 萬スタジオ まったく更新しておりませんでした。 デザインフェスタが無事終了いたしましたので、ご報告を! 2年ぶり3回目の出展でしたので、そこは慣れたものと言いましょうか、今回はブースの壁と折りたたみいすをレンタルして、準備万端の状態で会場入りできました。 荷物はたくさんありましたが・・・大きい絵3枚を乗せたカート、旅中に活躍してくれたバックパックに小さい絵3枚を入れ、さらに中くらいの2枚を紐で括り付け、全身筋肉痛に見舞われました。 今回は他者の手を煩わすことなく、準備から終わりまで何から何まですべて私一人で行いました。 その甲斐あってか、得るものの多い結果となり非常に満足しております。 前回出展したときに知り合った、とある方とも再会できましたし、幼馴染も遊びに来てくれましたし、 予想以上の絵葉書の売れ行きにも驚きました。 そして、何よりも嬉しかったのは、フランスから遥々日本へいらっしゃっていた方が私の絵に興味を持ってくださり、最新作である「復讐するは我に在り」「断ち切られた背徳の絆」を購入してくださったことでした。 この二枚の絵は、まだサイト上には公開しておりませんが、上下で一つのセットになっているものです。 フランスで額装して飾ってくださるということで、この2枚の絵は幸せものだと思います。 今回のデザインフェスタは、驚きと喜びに満ち満ちたものでした。 そして、これからも現状に甘んじることなく、技術と創造性に磨きをかけようと心に誓うものでありました。 27/May/2006 次回は最近見に行った演劇など。。。 先日、東京国際芸術祭の一環として上演された『冬の花火 春の枯葉』(作・太宰 治)を鑑賞して参りました。 会場は『にしすがも創造舎』というところで、廃校になった中学校の校舎を、そのまま文化施設として使用しています。 上演されたのは体育館でしたが、まったくそのような感じのしないほど、劇場内部は作り込まれており、入った瞬間、もうそこは現代ではなく、昭和初期の夜の世界を思わせるような空間になっておりました。 受付を入って左へ行くと劇場になっており、突き当りではワインやオリジナルカクテルなどのアルコール類を販売しておりました。 劇場では踊り子さんたちが、懐かしい感のある当時の曲にあわせて踊っており、もう時代を逆行してしまった気分で・・・楽しませていただきました。。 ダンスショーが終わり始まった劇は、それまでの華やかさとは打って変わり、敗戦後の日本人の心の奥深いところに押し隠された敗北感や、それを誤魔化そうとする虚栄、愚かさ、悲しみ、を感慨深く追求しているものと感じました。 ネタバレになってしまうと良くないと思いますので、内容は詳しくは記しませんが、劇は『冬の花火』『春の枯葉』『おさん』の三場に分かれており、最後に演じられた『おさん』は今でも強く印象に残っています。 25日の土曜日に観に行ったのですが、どうしてももう一度見に行きたい衝動に駆られ、自宅から近いということもあり、27日月曜の夜の公演も観に行ってしまいました。 二度観るというのも、内容を深く感じることができて良いものです。 少量のアルコールで顔を赤らめてしまう私は、顔を覚えられてしまったかもしれませんね。(汗 とても新鮮な機会を得ることができました。 この劇団の次の公演も、ぜひ拝見したいと思います。 ※参考URL 東京国際芸術祭 http://tif.anj.or.jp/program/dazai.html Ort-d.d http://www16.plala.or.jp/ort/ 28/Mar/2006 今、私の中ではおぞましい戦がおきている、そのどちらが勢力を拡大できるかで、今後の方針に大きな影響が生じる。 一方は『理性』であり、神によって生まれた人にとっては、これこそが『法』であり『力』であると信じる。 もう一方は『本能』、欲し、行う、善も悪もありはしない、すべてを食い尽くしても事足りぬ巨大な魔物。 もし、『理性』が『本能』に屈したならば、直ちに私の脳は鉛色の毒に侵され、狂人の世界から戻ることなく、無残に滅びるだろう。 しかし、その逆に『理性』が『本能』を征服し、支配下に置いたとき、たとえそれが一瞬のことであったとしても描くことのできないはずの神々しいものが、作品のなかに生まれるだろう。 31/Jan/2006 独自ドメインへの移転のため、サイトを直している際に、大切なことを忘れていたのに気づきました。 それは、作家は作品以前にあってはならないということです。 作品あっての作家であり、全身全霊を込めて命を削ってでも、制作に打ち込まなければならないということです。 14/Dec/2005 |